2017年8月17日木曜日

英霊は死に切れない。8月15日終戦記念日

英霊は、死に切れない。

今年の8月15日は、朝早くに靖国神社へいきました。

朝早くは、気持ちがよく神聖な気分でした。


日本の国旗『日の丸』をみたら、あることを思い出してしまいました。
故郷の実家には、破れた国旗『日の丸』があります。
それは、終戦後に母(亡くなった祖母)のもとへ帰ってきたものです。

七十数年前、死は身近にあり戦争へ行くことは、死を意味していたと思います。
その破れた『日の丸』には、たくさんの寄せ書きがありました。
父や母、兄弟、親戚や近所の人や、先生やお世話になった人達のものです。
その『日の丸』は、戦友が持ち帰って母のもとへ届けにきたのです。


こんなことを、想ってしまいました。
”『日の丸』を握り締めて、戦場へ向かうその人は、
 どんな想いだったのだろうか。
 どんな想いで、死んで行ったのだろうか。!”

『日の丸』に寄せ書きをした、人たちのことを想っていた想います。

”死ぬときは、どんなにか悔しかっただろう。
 この国の行く末が、分からぬまま死んで行くのは、
 どんなにか、不安だったろう。”

家族の中で、自分さえ命を賭ければ、
家族がこの日本が、安泰(あんたい)かのしれない。
と言う、わずかな望みだったと思います。

英霊たちの命を駆けた捨て身の行動は、
この国の国体を、少なからず保持させてくれたのです。
これには、感謝の他の言葉はありません。

今日この日、
私は、こう感じていた。

英霊は、死に切れない。


 

英霊たちが、望(のぞ)んだ日本になっただろうか。
もしかしたら、砂上(さじょう)の城かもしれない。
いつ、壊れてもおかしくないと思えないでしょうか。!
七十数年前の大東亜戦争は、確かに終わったのです。
「あの時は、戦争でたいへんだったですね。」
「ご苦労様です。」
だけで、済(す)ますつもりでしょうか。
それだけでは、ないと思う。
次は、私たちの番なのです。

英霊たちが命を駆けた想いを引き継ぎ、新しい社会の日本を作ることです。
それは、私たちに課せられた責務(せきむ)なのです。

『日の丸』握り締め、
 命を駆けた英霊の想いは、未(いま)だ成し遂げられずにある。

それまでは、

英霊は、死に切れない。


この日、一日は英霊に思いを馳(は)せてみた。


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